ライフスタイルにプラスになる、ファッショナブルな情報を発信。-abox-

1,422

『お菓子とアール・ヌーヴォーの町、ナンシーを歩く』ヨーロッパ写真日和VOL.253

こんにちは、吉田タイスケです。見上げれば、青空に輝くロココ様式の金属細工。古くからロレーヌ公国の首都として栄え、19世紀末から20世紀初頭にはアール・ヌーヴォー様式が花開いた町、ナンシー。この黄金のアーチをくぐって入るスタニスラス広場は世界遺産として登録されています。この広場が建設されたのは18世紀半ば。当時のフランス国王ルイ15世の義父であるロレーヌ公スタニスラスが、都市計画の一環で国王を称えて造らせたものだそう。義理父、すごすぎです。

今回はそんな黄金きらめく町、ナンシーから伝統的なお菓子とアール・ヌーヴォーな街並みをご紹介します。マドレーヌもナンシー発祥ってご存知でしたか(ナンシー周辺のコメルシーという町ですが同地方)?

広場では街灯もロワイヤルなんです。

広場周辺には6箇所の鉄柵があり、それぞれ美しい装飾が施されています。まぶしい!

こちらはスタニスラス広場と同じく世界遺産である、カリエール広場との間を結ぶ凱旋門。同時期に建設されたこの凱旋門も、単体で世界遺産に登録されています。正面に配されたラテン語の碑文はどれも国王ルイ15世を称える言葉が列記されていて、一言で言えば国王万歳凱旋門です。

さて、ナンシーはお菓子の町でもあります。フランス革命時に迫害された二人の修道女がこの通りに匿われ、そのお礼として残したマカロンのレシピを今に伝える老舗がこちら。

» Maison des Soeurs Macarons

現在のパリマカロンとは違って、古のマカロンは片面だけのシンプルな焼き菓子。お茶によく合う素朴な味わいです。

歩きながら食べながら、お菓子と並行してアール・ヌーヴォー建築も見ていきます。こちらは当時の商工会議所の入り口。ナンシーのアール・ヌーヴォー運動の中心であった家具デザイナー、ルイ・マジョレル作。

ディティールも優美です。

美しい天井装飾とシャンデリアに目を奪われるのは、ナンシー駅前にあるブラッスリー・エクセルシオールの内観。現在はコロナ禍のために営業できない状態ですが、ナンシーに来たら時間旅行に立ち寄りたいお店。

そのエクセルシオール向かいにあるのは、老舗菓子屋「ルフェーブル・ルモワーヌ」。

Le fevre Lemoine
http://www.lefevre-lemoine.fr/

1840年創業で現在5代目、フランスで最も古い家族経営のお菓子屋のひとつです。何ともノスタルジックな内装。映画のセットかなにかのようですね。

そんな老舗のベルガモットキャンデーは、映画「アメリ」でも小道具として使われました。普段飴は食べないんですが、ついついお約束で購入。

ショコラが並ぶショーケース。この古いキャビネットの引き出しひとつずつに、物語が詰まっていそうな趣です。

伝統菓子と関係ないのに、つい買ってしまうねじりドーナツ←「つい買ってしまう」ばかり。

17世紀の味を今も継承するヴィジタンディーヌというお菓子は、軽いフィナンシェのような口当たり。元は修道会で作られていたというヴィジタンディーヌ、マカロン含め修道会由来のお菓子は多いですねえ。

お菓子とアール・ヌーヴォー、まだまだ続きます。

こちらは目抜き通りにあるクレディ・リヨネ銀行外観。

出窓の装飾はスズランでしょうか?ブルーと白に乙女感あります。

青い乙女なクレディ・リヨネから遠くない通りには、有機的なファサード。こちらも銀行です。

アール・ヌーヴォー建築が集まる通りから少し歩くと、あれ、ここはイタリア?と思えるような明るい色使いの街並みが。

そのすぐ近くにあるのが、19世紀末に創業したパティスリーADAM。

» ADAM

現在伝統菓子のひとつとしてサン・エブルは各所で販売されていますが、1882年からここがオリジナルだよ!!と強調している看板です。

ちなみにナンシーはミラベルの産地でもあり、ミラベルのジャムやお菓子も有名です。こちらはミラベルクッキー。ついつい、、(以下省略)。

並べられたサン・エブル。19世紀に創業者がナンシーマカロンを作ろうとした過程で間違って生まれたのが、このメレンゲのお菓子だそう。中身はバニラクリームとヌガティーヌ。

いちばん小さいものを買って帰りました。くちどけ軽く、甘やかされるお菓子です。

アール・ヌーヴォー&お菓子巡りの後は、スタニスラス広場近くの古い建物が残る路地を歩いてみました。

そのひとつにこんな場所が。大きく「1477」と書かれています。これは、、??

碑文を読むと1477年、ナンシーの戦いで敗れ戦死した最後のブルゴーニュ公であるシャルル・無鉄砲公の遺体が一時安置されたとありました。15世紀頃のヨーロッパは群雄割拠、日本に例えるなら戦国時代といったところで、言ってみれば『天下統一を目指したが夢半ばに終わる、武田信玄の遺体がこの場所に立ち寄った』みたいな場所ということです(←強引)。歴史に『もし』はありませんが、ブルゴーニュ公シャルルが戦いに敗れずフランス王も圧倒していたら、今頃フランスはもっと小さい国だったかも知れません。

シャルル公よ安らかに、と思いつつ路地の一角の中庭を探索してみます。

何だか不思議なアーティスト村のようなこの場所は、いろいろな催しが企画される劇場でした。

» Le LEM

歴史を感じる造りになっている、居心地の良い中庭。

アール・ヌーヴォーに伝統菓子、戦国時代まで。古都ナンシーを歩いてきました。近郊の町、コメルシーで発祥したと言われるマドレーヌももちろん忘れずに。何と言っても元祖マドレーヌですから、菩提樹のお茶に浸して口にすれば、幼少時代の思い出が鮮やかに立ちのぼるかもしれません(プルースト的自分の思い出のお菓子は、ブルボンのルマンドですが!)。次回はまたパリから、パリジェンヌのファッションをテーマにお届けします。どうぞお楽しみに。

『お菓子とアール・ヌーヴォーの町、ナンシーを歩く』ヨーロッパ写真日和VOL.253Takashi -タカシ-

関連キーワード

関連記事