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ニューヨーク・ニューヨークVOL.99『コーチxバスキア』

今日は、マディソンです。

西海岸ではコロナ感染者が増えてきているため、再度自粛に入ると今朝報道されていましたが、今のところニューヨークは持ちこたえています。

先週はロックフェラ―センターのクリスマスツリーの点灯式も、今年は参加者無しではありましたが行われて、通りを挟んだ向こう側の高級デパート、サクスフィスでもウィンドーのデコレーションとクリスマスミュージックがスタートしました。

そんなクリスマスムードで盛り上がってきているニューヨークの、コーチ5番街フラグシップに今日は来ています。

今年はコーチ、バスキアとのコラボで話題を集めています。
ジョン・マイケル・バスキアは、日本ではゾゾタウンの前澤氏が2017年、サザビーズのオークションでその絵を110.5ミリオンダラー(約115億円、1㌦104円)!で競り落としたことがビッグニュースになりましたね。

ちなみに、この115億円という価格、アメリカのアート競売史上で最高額なんだそうです。
それを日本人ビジネスマンが競り落として、しかもその作者が黒人アーティストだというのですから、もちろんアメリカでも大いに話題になりました。凄いですね、ゾゾタウン。
バスキアの作品は恋人だったと噂されているマドンナ、ディビッドボウイ、ジョニーデップ、ディカプリオら著名人に多々所有されていて、前澤氏も彼の作品を競り落とした後、ディカプリオ宅に招待されたそうです。

バッグの表にフェイマスとありますが、バスキアは有名になることに貪欲だったといわれています。
ブルックリンでハイチ系アメリカ人のお父さんとプエルトリコ系アメリカ人のお母さんのもとに産まれた彼ですが、アートに造形が深かったお母さんに、ブルックリン美術館やメトロポリタン美術館によくつれられたそうです。

8歳の時に交通事故で重症を負った彼に、グレイズ・アナトミーという、医学生が購入する解剖学の本を買って与えたのもお母さんだったそうですが、その人体の隅々までの構造を独学で学んだことが、彼のアートに後々影響を与えたと言われています。

不幸だったのは、国民健康保険の無いアメリカで、交通事故での入院にかかる医療費は凄まじく高額で、それがもとで両親が不和となり離婚してしまいました。お母さんは精神を病んで病院に、ようやく事故から回復したバスキア少年は、経済的な理由もあってお父さんに引き取られることになりました。ところがそのお父さんに暴力や虐待を受けて育ったというのです。

バスキアの作品は一見、いたずら書きのようにも見えるんですが、というのも元々彼はストリート系アートと言われるグラフィティ出身で、しかも詩人としてメッセージ性の強いアートを表現してきたからだと思います。
グラフィティは日本ではスプレーペインティングと呼ばれていますが、バスキアの場合、マンハッタンのダウンタウンやブルックリンで建物に描かれていたり、あるいは地下鉄に描かれているものとは一線を画しています。というのも絵だけではなく、言葉でも強く主張しているからです。
80年代彼のグラフィティのあまりのメッセージ性の高さに、ビレッジボイスなどの新聞が特集を組むようになりました。

彼は当時自身のストリートアートには必ずSAMOというサインを入れていて、こうして新聞特集が組まれるようになるころには、メディアに名乗り出たそうです。ほとんどホームレス状態だった彼に、ソーホーの画廊オーナーが地下をアトリエに当ててくれて、そこで作った作品が初めての展覧会で20万ドル(約2080万円)で売れ、文字通り一晩で大成功を収めました。

ニューヨークでフェイマス、有名になることを誓った彼は、ある日ポップアート界の第一人者であるアンディ・ウォーフォールがレストランに入っていくのを目にします。通りで売っていた葉書大のアートをレストランに入って行って彼に見せたものの、それほどの反応は得られませんでした。

というのも、80年代のアート業界は黒人アーティストなどほとんど活躍できない状況だったからです。
何度もウォーフォールのアトリエに足を運んで入り口で待つうちに、やがてウォーフォールもバスキアのアートを理解しはじめました。

以降二人の友情は続き、はた目には勢いがなくなりつつあるウォフォールは若い力を利用して、ポップアートの世界に足場のないバスキアは第一人者のお墨付きを利用して、と利害関係だとも言われていたそうですが、逆に近しい人たちには本当にお互いを敬愛しているように見えていたそうです。
父親に拒絶されて育ったバスキアにとってウォーフォールは父のような、兄のような存在だったのかもしれませんね。

バスキアの作品の中でも特にファンの多い、黒いティラノザウルスに王冠をかぶせたアート。ティラノザウルスは恐竜界のキング、バスキア自身ははストリートアートのキングであり、ニューヨークは街のキングといったメッセージが込められているようです。

バスキア作品は“スプリーム”や、ヴァージル・アブローのブランド“オフホワイト”ともコラボしていますが、力強く男性的なエネルギーに溢れたアートだと言えます。
ニューヨークのアーティストということで、コーチにとってはキース・へリングに続くコラボなのかもしれませんが、キースの作品はもう少し柔らかくポップだと言えるでしょう。

それでも、ニューヨークを代表するアーティストで、しかもその作品が世界中で大変な価格で落札されているバスキアのアート入りコーチとなると、今回だけでなく、コレクターアイテムになること間違いありません。さすが革新的に進化を進めるクリエィテイブ・ディレクターのヴィヴァースですね!

革新的と言えばこのバッグ、どうやって持ち運び、何を中に入れるんでしょう。
今回フラグ店を案内してくれたアビゲールの一番のお気に入りがこの三角錐バッグだそうです。
バスキアとのコラボもそうですが、こうした遊び心満載なところが、コーチの楽しい部分ですね。

次はどんなデザインで、どうあっと言わせてくれるのか、全く予測がつきません。

ウォーフォールとのコラボ作品でプレスに叩かれたバスキアは、ウォーフォールと疎遠になり、そうしている間にウォーフォールが胆嚢治療の医療ミスで亡くなってしまいました。一方ウォーフォールの死に衝撃をうけたバスキアの方も鬱がひどくなり薬物に依存、わずか27歳という若さでヘロイン多量服用で亡くなってしまいました。

ピカソは生前“プロの流儀を習って、その上で自分が表現するときには習ったものを壊すんだ”と言っていたそうです。
まさに、バスキアの表現こそその手法に沿ったもののようで、だから彼は現代のピカソとも呼ばれているのだと思います。

絵画だけではなく、そんな彼が残したメッセージは、カニエやジェイジーの音楽はじめ、ポップカルチャーの中に強く今も生きています。ブラックライブズマターで揺れているアメリカで、バスキアとのコラボに踏み切ったコーチは、ニューヨークのブランドとしても、また世界中の多人種の人々へのブランドとしても進化を続けていると思いました。

次号はそんなコーチの他のコレクションについてご紹介しますね。
ではまた、ニューヨークでお会いしましょう。

ニューヨーク・ニューヨークVOL.99『コーチxバスキア』staff

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