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『バスキア』ニューヨーク・ニューヨークVOL.135

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マディソンです。

チェルシー地区にあるギャラリー“スターレット・レハイ”に来ています。夭逝した天才画家バスキアの展示が行われているんです。バスキアは以前、ミートパッキング地区のホイットニー美術館でも展示されたことがあるんですが、今回は彼の両親が未公開の私物を200点以上出品しているとあって、より彼の内面に迫る展示になりそうです。

展示タイトルはキング・プレジャー。1987年に発表された彼の作品のタイトルをそのまま使っていますが、実は1952年にヒット曲を出した、キング・プレジャーというジャズシンガーにもちなんでいるそうです。彼のお父さんがその曲を大好きで、音楽を聴きながら育った彼が、思わずタイトルにつけたんでしょう。


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独特の画法なので、彼の作品はすぐわかりますね。

下のドクロっぽい絵は、ゾゾの前澤さんが2017年に123億円で落札した作品に少し似ています。作品だけでなく、彼自身の印象も強いんですが、27歳の若さで亡くなってしまっているので、作品の制作に費やしたのは1988年に亡くなるまでのわずか9年ほど。その間に3000点ほどの絵画を残しました。

1960年ブルックリンに産まれた彼は、地下鉄やスラム街のスプレー・ペインティングからスタートしています。それでキース・へリングと並んで、ニューヨークのストリートカルチャーの申し子といった位置づけをされていますが、ドラッグの過剰摂取で亡くなってしまいました。短い間に、燃え尽きてしまった一生だったんですね。


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バスキアの作品に流れるトーン、一言でいえばそれは人種差別への抗議でしょうか。この作品のタイトルは“黒人警察のアイロニー。”警察が自分たちと同じ種族であるアフリカ系アメリカ人を捕まえて、暴力をふるっている絵には、これも犯罪ではないのかという声が聞こえてききそうです。窃盗を働くのも犯罪なら、暴力もそうではないのか、警察は法を守って取り締まるべきで、リンチを働くことも犯罪ではないのかと。

コロナ下、全米で起こったブラック・ライブズ・マターのような抗議運動を、アートといった形で30年も前に彼が静かに立ち上げていたということなのでしょう。


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今回の展示では、バスキアの両親が彼ゆかりの品々200点も紹介しています。

この自転車もその一つ。大成功を収めた後でも、バスキアは自転車でニューヨークの街を駆け抜けていたそうです。街の息吹を感じたいということももちろんあったでしょう。とはいえ夜も自転車だったのは、アーティスト仲間のパーティから家に戻ろうとしても、夜遅くなればなるほどタクシーに乗車拒否されたからだったそうです。ニューヨークの街を移動する、実用的手段でもあったんですね。


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広報担当のアレクシス。彼がバックにしている、このチョーク画こそが、前澤さんの購入した絵のデッサンのようです。

アレクシスがいうには、バスキアの作品には彼自身の言語がちりばめられていて、それが彼の人生における態度と相乗効果で、作品にパワーを与えているようだ、とのことです。今回の展示では、彼のアトリエが復元されていたり、彼の日記の一部が展示されていたりと、決して彼がただやみくもに作品の創造だけをしていたアーティストではないことがわかってきます。


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こんな風にイラストの周りに彼の言葉がちりばめられていますね。例えば、ARBLCKML2260という暗号のような記述がありますが、これは刑務所では名前ではなく、こうした番号で呼ばれることを表しているようです。

ストリート・アーティスト達は地下鉄や公共の建物など、本来描いてはいけない場所にスプレー・ペインティングを描きます。警察がやってくる前に描いて逃げるわけなんですが、そうしたアーティスト達はたくさんいて、でも誰もがバスキアやへリングのようになれるわけではありません。

シャツや絵葉書を作って路上で売ったり、MOMAの前で作品を売ったりまではニューヨークの場合、何人もいるでしょう。ところが彼は少し違います。アーティスト達のパーティにつてを頼って参加した結果、キース・へリング本人と親しくなります。レストランで食事中のアンディ・ウォーホールに絵葉書を渡して親しくなったエピソードなどを聞くと、単に作品作りに全力を注ぐアーティストというよりは、極めてセールス力やコミニュケーション能力に優れていた人物像も浮かび上がってくるんです。


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バスキアの実家のリビングルームや、後に彼が借りたアトリエが再現されています。

リビングルームには中流家庭の、つましいけれど知的で清潔な印象があって、これを見る限り、アトリエに溢れているエネルギーがそんな穏やかな場所から生まれたとはとても思えないんですが…。

入口近くに、彼のエージェントだった女性のインタビューが動画で流れていました。バスキアが彼女に同行して飛行機で移動する際に、招待したアートイベンターにとって彼自身は著名アーティストなのでビジネスクラスに席がありましたが、エージェントであるその白人女性の席はエコノミーだったそうです。そうした席分けに抗議して、彼女の隣に座っていた見知らぬ乗客に代わってほしいと申し出たそうです。

もちろん、彼の作風にある人種差別は、アフリカ系アメリカ人に対する表現の形をとっていますが、彼自身が反対していたのはもっと普遍的なもの、いかなる人種への差別でもあったんだと思います。


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自由な画風が多いんですが、こんな風な写実的な絵画もあったんですね。このゴリラ、今にも絵から飛び出してきそうです。


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バスキアは1960年に、ハイチ人のお父さんと、ブルックリン生まれですがプエルトリコ人のお母さんの元に産まれました。子供のころから観察眼が鋭く、アフリカ系アメリカ人で移民の子供という立場から、大人たちの言葉や意見を深く理解していったという家族の言葉が、彼のアートと並べて展示されています。

画廊で作品が次々に売れて成功の感触をつかんだ彼が、パーティで一晩どんちゃん騒ぎをした後、早朝7時に実家に車を乗りつけたエピソードも語られていました。車を待たせたまま実家のドアを開けて、“パパ、僕はやったよ!”と一声かけて帰って行ったと言います。自身が成功したことを、移民として苦労したお父さんにすぐにでも知らせたかったんですね。今回の展示では、家族がどんなに彼を誇りに思っていたか、温かい愛情をもって彼を見守っていたのかが伝わってきました。

そんな彼が冷蔵庫の表に掲げていたのが“LOVE”だったんですね。

さて、如何でしたか。

あまりにも優れた感性を過剰に持ちすぎたために、人生を駆け抜けて行ってしまったバスキア。ただ彼の人生が愛情にあふれていて良かった…と感じられて、何だか泣けてきてしまいました。

ではまた、ニューヨークでお会いしましょうね。

『バスキア』ニューヨーク・ニューヨークVOL.135Takashi -タカシ-

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