ライフスタイルにプラスになる、ファッショナブルな情報を発信。-abox-

46

『ハロルド・コーエン展』ニューヨーク・ニューヨークVOL.177

マディソンです。

ホイットニー美術館が今、とても興味深い展示を開催しているんです。アーロンというコンピュータープログラムを作ったハロルド・コーエンは、伝統的な手法とコンピューターによる絵画の、まさにその分岐点を作ったアーティストだと言われています。

コーエンは2016年に亡くなりましたが、時代はさらに進んで、今では人工知能が絵画をつくっています。ダリやミッドジャーニーというソフトウェアで、誰もが絵を描けるようになりましたね。

今回私が滞在したパラマウント・ホテルはニューヨークの歴史的建造物で、劇場建築家のトーマス・ラムによって1928年に設計されたと聞いています。トーマス・ラムは20世紀を代表する劇場建築家で、ニューヨークのパレス・シアターや、ボストンのキース・メモリアル・シアターなどなど50数件以上もの劇場を設計しました。

実は設計当時のロビーは大理石に覆われていて、富豪コーネリアス・ヴァンダービルト家から集めた美術品まで飾られていたそうなんですよ。現在のはフィリップ・スタルクによって1990年に改装されました。

ホテルは46丁目の8番街とブロードウェイの間、まさに劇場地域の中に位置しています。コロナも落ち着いたせいか、ロビーは今また改装中で、完成したらどんな風になるのか、今からとても楽しみです。

ハロルド・コーエンは1972年から2010年の間、“記号の集まりが画像として成立する、そのための最終条件とは一体なんなのだろう?”という問いに答えるために、ソフトウェアを開発し続けました。今では人工知能を使ったアート創造のパイオニアという位置づけですが、当時としては狂気の沙汰という受け止め方をされたのではないでしょうか。

彼のソフトウェアはオープンソースではなかったので、2016年に彼が亡くなると同時に開発も止まってしまっています。

これらのアートこそが最初のAIアートだということになりますが、60年代既にコンピューターの人工知能に、芸術家的視線を導入しようとしたアーティストがいたということに驚かされますね。

1928年イギリスに生まれたコーエンは60年代の終わりに、カリフォルニア大学サンディエゴ・キャンパスで最初のアート制作プログラミングに着手しました。1973年から1075年、スタートアップ企業のメッカ、スタンフォード大学に移り、その人工知能研究所でアーロンを開発したそうです。

子供たちが絵を描き始めるとき、まずは何かの形と線を結ぶところから始めると気づいた彼は、何とかそのプロセスを人工知能に教えられないかと考えたんだそうです。

アーロンという名前の由来が面白くて、これは十戒で知られているモーゼの弟で、モーゼが聞いた神の言葉を聴衆にスピーチの形で伝導した人物に由来しているのだとか。

ダリなどの人工知能で描くやり方は、人間の指令とアルゴリズムが大きく関わってきます。反対にコーエンが開発したアーロンの場合、内蔵されたメモリーが一つ一つのタスクを完了することでアートが描かれるという、全くユニークな手法をとっていたそうなんです。

だからなのかもしれませんが、ダリらの絵が滑らかで、写真を絵にしたような緻密さなのに対して、ここに見られるアーロンの画法は、とても人工知能が描いたとは思えないぎこちなさなんですね。ただ、だからこそ逆に命の粗削りさが感じられませんか。かえって大胆で、力強いんですね、命のように。

アーロンの実際の制作の模様です。最初の3Dプリンターが開発されたのが1981年とされていますから、もちろん60年代にはありませんでした。

この機械を使った初期の頃、ソフトウェアのアーロンが線を描き、ハロルドが色を入れていて、ハロルドにとって、アーロンは自分の指示通りに動く機械などではなく、パートナーのような存在だったらしいです。

どうです、この色使い。

細かく近くで見ると、決してラインがなめらかなわけではないんですが、少し離れて眺めてみると自然で、まるで人が描いたように、それぞれの植物が光に向かって伸び、風になびいているかのように見えるのが不思議です。

交通渋滞は酷いですし、家賃は信じられないくらい高価ですが、それでもニューヨーク人気が衰えない秘訣の一といえるのが、マンハッタンにはたくさんの銅像があって、そのそばには腰かけて休める場所がたくさんあるということなのかもしれません。

ハロルドがアーロンで試みた記号を重ねてアート制作する方法を人工知能に覚えさせることをはるかに超えて、今や言葉で命じるだけで人工知能がさまざまなアートを生み出すことができるようになりました。

となると3Dプリンターと人工知能ソフトを駆使して、銅像も近い将来には、各家庭に何体も作って飾れるようになるんでしょうか。

タイムズスクエアには昔、広告看板がひしめいていました。2007年から2015年、大人気を博したテレビドラマ“マッドマン”はそんな60年代の広告業界が舞台でしたが、今ではほとんどが動画広告にかわってしまっています。そんな動画以前のビルボード看板全盛期の60年代に、アーロンは既に人口知能によるアートを考えていたということに驚かされますね。

例えばアーティストが亡くなっても、アートは残ります。人工知能がアーティストの手法をマスターすれば、アーティストが亡くなっても、彼や彼女のアート作品は生まれ続けるということでしょうか。芸術家としての不老不死をはたしてハロルドは夢見ていたんでしょうか。

ではいつかまた、ニューヨークでお会いしましょうね。

『ハロルド・コーエン展』ニューヨーク・ニューヨークVOL.177staff

関連記事