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ニューヨーク・ニューヨークVOL.79『ファッションは芸術』

今日は、マディソンです。メトロポリタン美術館のコスチューム・インスティテュートで、サンディ・シュライアーという女性がプライベートで収集した服コレクションの展示が行われていたので、興味津々で見に行ってきました。

サンディ・シュライアーは、世界で最も権威のある服のコレクターの一人で、96年にわたるデザイナーズ・コレクションを1万5千点も所有しているそうです。彼女はその中から165点をコスチューム・インスティテュートに寄贈することを約束し、そのうち80点が今回展示されています。

デトロイトに産まれた彼女の父親は当時全盛期を収めていたデパート“ルセックス”で毛皮のセールスを担当していました。デパートのオーナーは、ハンサムな彼が有閑マダムたちを魅了することが毛皮の販売に繋がるだろうと、当時はまだ郵便担当だった彼を毛皮部門に抜擢したそうです。この見込みは辺り、彼女の父親の顧客リストには、名だたる自動車王の妻たちが名を連ねました。

彼女たちは当時2歳半だったサンディが、映画で人気の天才子役シャーリー・テンプルに似ていると、高価なデザイナーの子供服を次々プレゼントしてくれたそうです。この経験が、彼女の核になったとインタビューで話していました。幼いころに目に焼き付いたハイブランドの服が、彼女の運命になってしまったということを。



マージャリーン・ラクワは1800年代半ばから1900年代にかけて活躍したデザイナーで、このイヴニングドレスでは柔らかいニットとレースを使い、緩やかなシルエットに特徴をもたせました。彼女のスタイルの影響は第一次世界大戦前まで全盛で、その後のドラマチックなスタイルの変化との違いに驚かされます。

メタリックな印象のレースと絹のハーモニー、黒く引き締まったトリミングが見事です。サンディは、ラクワのドレスはファッション史上、より評価されるべきだと発言しています。



こちらは1937年フランスで創業の、ハウス・オヴ・バレンシアガのドレス。デザイナーはスペイン人のクリストバル・バレンシアガで、フラメンコのドレスの裾に広がる気配を優雅に表現しています。

実際にこれらのドレスを身にまとったポーリーン・ド・ロスチャイルドいわく、“バレンシアガのドレスは、一歩踏みだすごとに、まるで海の小波のように、前後左右に微かに揺れてエレガントだったわ。”だそうです。

この当時、高級シルクのドレス製造では、フランスの右に出る国はいなかったと言われています。印象画の絵を思わせる図柄と、バックには大胆にリボンが重なっていて、例えば今アカデミー賞などの式で女優さんがきていてもおかしくない感じがしますね。特に今年はニューヨーク・コレクションでも大柄なフラワープリント生地がたくさん見られていますし。

サンディ・シュライアーはこのドレス、エリザベス・パーク・ファイアーストーンから譲り受けたそうです。ファイアーストーンは当時車のタイヤ王でしたので、その夫人ですね。

サンディの父親はデトロイトのラセックス・デパートで1930年代と40年代主に毛皮の販売をてがけ、自動車の街デトロイトの自動車王や関連会社社長夫人たちを顧客に持っていました。彼女は父親を通じて、当時ファッショニスタだったエリザベス・パーク・ファイアーストーンをはじめとする、綺羅星のような名士夫人たちと親交を深め、ファッション雑誌ヴォーグやハーパースバザー的世界への知識を蓄えていきました。このロマンチックなシャネルのドレスも、ファイアーストーン夫人が初めて着たものです。

当時のハリウッドは映画の全盛期で、ゴールデン・エイジとも呼ばれていましたし、そんな映画の世界のグラマラスさも彼女を虜にし、ファッションは芸術であり、デザイナーズの服を収集することは一流の絵画を集めることと同じという彼女の信念を強くしていったようです。

このドレスやハット、単にエレガントというだけではなく、冒険もみられますね。

こちらはぐっと最近のコレクションで、故カール・ラガーフィールドが19年ヘッド・デザイナーを務めていたクロエをいったん退く直前にデザインしたドレスです。黒のシルクドレスにビーズでカラフルな小さなドレスが描かれたデザイン。彼のデザイナーとしての、圧倒的な才能を見せつけられます。

ラガーフィールドは“デザイナーがイメージした世界を実際に表現してくれる、服を縫ってくれる人々への無限の尊敬”を常に口にしていたそうですが、ビーズでこれを縫うのは本当に根気の要る作業だったとことでしょう。

表のデザインはモスキーノのチープ・シックで、アートはラブ、というタイトルのコレクションから。ブルーに赤、黄色の鮮やかな色使いで目を惹くこのデザインを発表したのがフランコ・モスキーノで、自称ファッション哲学者だそうです。彼はまた、自身のことを半分は服の製作者であり、半分は芸術家だとも言っています。

創作年数は10年ほどでしたが、その間シャネルやイヴサンローランやルイ・ヴィトンなど著名デザイナーのコレクションを、常にユーモアと愛情たっぷりにパロディ化してきました。このドレスはサンローランのパロディです。後ろにはキャンベルスープのドレスも見えますね。

ロベルト・ロハスの、このメタリックなゴールドとシルバーのミニドレスこそが1960年代のファッション界に衝撃与え、一大旋風を巻き起こしたツィーギー現象の発端となりました。

後にサンディ・シュライアーと親しい友人となったロハスが言うには、ヴォーグの仕事で著名カメラマンのリチャード・アベドンが撮影している折に、この女の子はモデルとして全く見込みがないと現場のみんなが思っていたところ、ロハスが、本来は足首まであったこのドレスを超ミニにカットし、同時にパッとしなかったモデルの女の子の髪も短くカットしてしまったことが、伝説のモデル・ツィーギー誕生につながったそうです。

今でこそ、こうして権威あるメトロポリタン美術館のコスチューム・インスティテュートに展示され人々を魅了していますが、シュライアーが彼女自身のプライベートなデザイナーズ・コレクションの展示を美術館に持ち掛けた時、どの美術館も、服はアートではないととりあってくれなかったそうです。ただ彼女は、2歳半の時に最初のデザイナー子供服を送られて以来、両親の“ハロウィンに着てみたらどうなの?”という誘いに一度も耳を貸さず、何時か美術館に自分の服のコレクションが飾られると信じて疑うことなく、自分では着ない服を集め続け、大事に保存してきたのだそうです。

美術館のキューレイタ―は、服のプライベートコレクションの展示という彼女の提案を、最初“エイリアンの襲撃のようなものだ”と否定しましたが…。寄贈コレクションのうちの80品がいよいよ彼女の家から美術館へと運ばれる折、シュライアーは“ほとんどの人々が朝起きると夢から覚めるでしょう?今日わたしは朝起きて夢が叶うのよ!”とメディアインタビューに答えたそうです。

それでもその品々がいざ運ばれる段には、不安でパニックを起こしそうになったとも言っていました。子供のころからの、誰に聞いても不可能だと言われてきた夢がいざ叶うときって、案外そういうものなのかもしれませんね。

今日はお天気がいいので、たくさんのニューヨーカーたちがメット前で一休みしています。子供のころからの、絶対叶わないと言われた夢をあきらめないで着実に前進し続ける。強靭な精神力の要ることだったことでしょう。

さて、あなたが叶えたい夢は何でしょうか?またニューヨークでお会いしましょうね。

ニューヨーク・ニューヨークVOL.79『ファッションは芸術』Takashi -タカシ-

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